出来ることなど 高が知れている

この間から書いているように
今月は本当に忙しい。
正直、家事をする余裕もないし
気が付いたら意識が飛んでいて寝ているし
出来ることなら、夜ご飯は食べたくないし。
一応一日三食食べるけれど
食べたいからというよりも
食べないと毎日を過ごしていけないから。

三日に一回は試験があって
試験に受からなければまた来年受講しなければならない。
というプレッシャーがあるので
授業は本気で集中しないとダメだし
授業内容によっては帰宅後調べないといけないし。

そんな感じで、毎日闘いなのです。

でも。
こんな時に限って問題は起こるのよね。
友人に起こった出来事もあれば
自分に起こった出来事もあるけれど
どちらも
「私」にはどうすることも出来なくて。
出来ることなど、ほとんどない。

無力な自分を自覚する度に
やるせなさに襲われる。

別に何かを求められているわけじゃないって
分かっているのだけれど・・・
心配でつい色々考えてしまって。

私、普段から鍵を何重にもかけている箱があるんです。
普段は心の奥底に閉まっているのだけれど
気を抜いていたりして、そのカギが開いてしまうと

震災のことだったり
日常のニュースだったり
悲しかったりやるせなかったりする出来事を
見たり聞いたりすると、私・・・
泣いてしまうんです。

普段はそんなんじゃ生活が大変だから
何重にも鍵をかけているので
誰にもバレていないはず(笑)

昔から人前で泣くのが苦手で
誰かの前だと絶対泣きたくないから
泣きそうになると必死に我慢してたんだけどね?
最近はそうでもなくて
泣いても恥ずかしくないって思えるようになったから
自分的にはイイ変化だと思うのだけれど。
(だからといって誰かの前で泣いたってわけじゃない)
自分のことでは泣かないけどね。

そういうわけで
私のことじゃないんだけど
最近起こった出来事を考える度に
涙がでちゃうわけ。
私が泣いたってしょうがないんだけど
泣けてきちゃうわけ。

だってどんな問題でも
誰が悪いってわけじゃないし
かといってベストな解決策があるわけでもないから。
だからこそ
やるせなくて、どうしようもなくて
切なくて悲しい。

私に出来ることなんて
というか
人に出来ることなんて
ホントにほんとにほんっとうにちっぽけで。
もうさ

私に出来ること≒何もない
(≒ ニアイコール…ほぼ同じ)

と言っても過言ではないぐらいだと思うのね。
おっきな規模で見てみたら
人一人にできることなんて
それこそミジンコと同じぐらいちっぽけなんだと思うの。

私に出来るのは、この両手の範囲内だけ。
掴めるのはこの両手だけ。

私に出来ることはほとんどないけれど
それでも、話を聞くことは出来る。
状況は何も変わらないかもしれないけれど
もしかしたら心は、ほんの少しだけ軽くなるかもしれないし
何も話さなくても傍にいることで
一人だと永遠に感じる、明けない夜が
ほんの少しだけ朝がくることを願えるかもしれない。

ほんの少しだけでも、力になりたいと願う。

by Elly

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする