「諦める」=「明らかに極める」

自分のやりたい仕事がある。
でもそのためには「ある経験」が足りない。
で、その「ある経験」をするためにはまた別の経験が必要で。
その経験をするようなチャンスがないから
何をどうすればいいのか分からない。

はたまた
自分のやりたいコトや、なりたいモノに近づくために
そもそも何をどうすればいいのか分からない。
前例がなかったり
やってみたいコトに確立した立場がまだないと
いったい何から手を付けたらいいのか分からない。

胸のここら辺に、もやもやーっとしたものがあって。
でもそれをどうカタチにしたらいいのか分からなくて。
こういうのがしたいって思っても
実際それはどうすればいいの?
どうすれば始められるの?
「何を」身につければそこに到達できるの?
まずすべきことな何なの?
誰を真似すればいいの?
その全てが何も見えなくてわからない。

そんな事態に陥ったら、果たしてどう動けばいいのか。

なんかもう、先が見えないと嫌になるよね。
なんていうか
富士山のふもとに辿り着いて、頂上を見上げている感じ。
頂上のさきっちょすら見えなくて
どこをどう進めばいいのか分からなければ
そりゃ嫌になる。
もぉーやだっ!ってぽいっと諦めたくなる。

だから
道筋があるというのは、とっても楽。
どんなに高い山でも、果てしない道でも
どこを通ればいいのか分かれば
後は自分の努力次第だから。
それこそ学校の先生になりたいって思ったらさ
まずは教員免許を取得すればいいでしょ。
免許取得したら公務員試験か私学独自の試験を受けて
合格すれば先生になれる。
そうやって
資格を取得すればいいとか
この場所で働けばいいとか
はっきり分かっていたり先駆者がいるというのは
とっても助かる。

ルートが分からない場所を進むのは
思考錯誤の繰り返し。
唯一のチャンスをモノにするために
とにかく色々取り組んでみるしかない。
どれがヒットするか分からないから
遠回りでもなんでも、手探りでやるしか術がない。
それって言い換えれば
常に変わらないモチベーションを保って
常に向上心を持ち続けていなければいけないってことだと思う。

それなのに
年をとるごとに諦めるのが上手になる。
もっともらしい理由を見つけて自分を正当化するのがうまくなるから。
慣れてくると「それなりに」できるようになってくるから。
ある程度のレベルまでなら、努力すればできたりする。
だから別にこれ以上頑張らずに
このままでもいいんじゃないかって思ってしまったりもする。

もういいんじゃない?
「それなりに」やりたい仕事ができていて
「それなりに」任された仕事をこなせていて
「それなりに」お給料がもらえていて
「それなりに」安定した仕事ができている今
「それなり」から脱出する必要なんて、ないんじゃない?
そう自分を甘やかしてしまいたくなる。

もちろん日々生活をしていれば
環境が変わるから、色々変化があった上で
もういいかなって思うのは良いと思う。
私自身、結婚と同時に仕事を辞めて専業主婦になったし
(諸事情で一ヶ月しかもたなかったけど)
家族の事情が変わればまた変わるだろうし
(うちは劇的な変化がありましたけど)
離婚すりゃ生活していくために働くしね(笑)
そうやって
その時々で環境が変われば気持ちも変わるから
そういう変化自体はアリだと思うの。

でもそういう環境とか心情の変化があったわけではないのに
「それなり」から脱出するには
周りの人のそろそろ落ち着いたら?っていう言葉とか
女性はやっぱり家庭に入るのが一番なのよっていう声とか
まだそんなことやってんの?っていう眼とか
そういうのに負けずに、続けるパワーが必要なんだと思う。

周りに流されないでいることへの負担って
自分が思っている以上に一年一年大きくなっていくの。
25のときは気にせずできたのに26のときには戸惑って
27には26の戸惑いの倍以上の戸惑いがあって
28には…25のときの何十倍もパワーがないとできない。
一年ごとに倍になるってわけじゃなくて
三年後には何十倍にもなったりする。

だから
うまくいかないことが多ければ
嫌になるのも当然だし
投げ出してしまいたくなる気持ちにもなる。
だけど
もう投げ捨ててしまいたいと思った瞬間に
まさに投げようとふりかぶっているその瞬間に
その手を引き留められるのは、「未来の自分」だけ。

いつかこういう仕事をしたい。
こんなことにチャレンジしたい。
いつかこいういう自分になりたい。
それを叶えている「未来の自分」を求める気持ちだけが
ぐらぐらしているこの場所に立ち止まれる唯一のパワー。

それって
ほんとに、ほんとーに、ほんっっっとうに
すっごく辛くて苦しくて…孤独。
だって結局いつだって自分との闘いだから。
誰のせいにも出来ない自分だけの闘いだから。

だけど
そうやって自分との闘いを続けられるのは
独りじゃないから、なんだよね。
自分との闘いだけど
その自分と闘っている間
自分の周りにいるかけがえのない人たちの支えがある。
だから頑張れる。
足踏ん張って立っていられる。
まだ大丈夫だって信じられる。
何よりも自分自身が
それをやるのが楽しくて面白くてわくわくする。
その仕事が好きで、もっともっとって自然と求めている。
だから、前に進める。
それでも疲れちゃったり、限界までやってみて無理だったら
その時止めればいい。

以前、大先輩から聞いたんだけど

「諦める」とは
「明らかに極める」ということ

らしい。
もちろん言葉の由来や語源は色々な説があるから
それが正しいかどうかは分からないけれど。
でも「明らかに極める」ってことは
それがどんなものかをきちんと知った上で
出来る限りの努力をした結果、「諦める」わけだから
きちんと納得して「諦め」られる。
そうすれば後悔なんてない。
「諦める」ってきっと、そういうことなんだと思う。

もちろん、どんなに好きでやっていても
どこかで冷静になれて、客観的に見られる自分っていうのは必要。
引き際も大事だと思うから。
でもその引き際をちゃんと見極めるためには
わだかまりが残らないように、出来る限りのことをする。
そうじゃなきゃ
「明らかに極めて」いないのに「諦めて」しまったら
きっと心のどこかにモヤモヤのカケラが残ってしまって
何かの拍子に「自分以外の何か」のせいにしてしまうかもしれないから。

自分に出来る限りのことをした結果なら
ちゃんと心がすとんって在るべき場所に落ち着いて
うん、これでいいんだって思える。

進みたい道に進むのは、とってもとっても大変。
それでも
大変なことも多いけれど、好きなお仕事ができていて
なかなか会えなくても、支えてくれる人たちがいてくれて
辛くて苦しいことがあっても、それ以上にハッピーなことがあれば
ちゃんと歩いていけるんだよね。

by Elyy

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