物事を一面的に捉える

先日ね
数人で外食していた時に、
隣の席の若い女の子たち(二十歳前後)が帰り際に
「自分のことは自分で決めるべきなんだから
文句言うのってありえなくない?
自分の人生なんだから自分で決めればいいじゃん。」
と言いながら帰っていったことがあって。
確かその直前に私たちは笑いながら
「中学の頃ソフトボール部に入りたかったんだけど
親がダメっていうから入れなかったんだよねー」とか
そんな感じの話をしていて。
その女の子たちは全然知らない人たちだけれど
多分この会話を聴いていたのだろうね。
彼女たちが言ったことはその通りだと思うし
その部分だけを聞いていれば
そう思うのもおかしくはないのかもしれない。

でも、私たちの誰もが
「自分の人生は自分で決めて生きてきた」と自負していて。
中学生で自分では稼ぐことも家を出ることもできない
どうにもならない環境の中で
それでも自分で一生懸命努力をして今の専門職の地位を得た人や
ご両親を高校時代に亡くして、その後も様々な不幸があったけれど
ご兄弟と力を合わせて生きていて、海外へ学びに行ったり
一生懸命努力をして今の職場で働いている人。

私も兄弟が多く経済的に余裕がない家だったので
自分のしたいことを出来る環境ではなくて
アルバイトをしないと生きていけなかったりしたけれど
今はその経験があったからこそ、今の自分があるって信じてるし
捨て去りたい過去ではなくて有り難いと大切にしたい過去で
今までの経験を支えてくれた人たちと乗り越えられた自分に
誇りを持っている。
その場にいた私たちの誰もが
「不満」ではなくて「笑い飛ばせる過去」で
「家族との愛しい過去」として話をしていたのだけれど。
当然その子たちは
そういうバックグラウンドも、前後の話も知らないわけで。
それなのに「正しいことを言った」ような顔をして
「正論」として言い捨てされたことに
苛立ちではなく、唖然としてしまって。

私はまぁしょうがないなと思ったのだけれど
我に帰った友人は、
「はぁ!?ちょっと何あれ!何なの!」とキレていました(笑)
ちなみに彼女は自分が言われたことに対して、ではなく
一緒にいた私やもう一人の人のことをよく知っているので
失礼だー!と怒ってくれたの。
自分の考えが正しいと思っている人もいるし
私たちだってそうなりがちだから気をつけないとねー、と
笑いながら終わったのだけれど。
(つくづく素敵な人たちです)

自分のものさしで測らない
ほんの少しの一面だけで判断しないことは
とても大切なことだって、改めて実感した。

私たちが見ているものや知っていることは
「すべて」ではなくて。
外側に表れていることが全てじゃないし
その人が話してくれたことが「すべて」でもない。
物事の「すべて」を理解することなんて
私は無理だと思ってる。
同じ出来事でも、話す人が違えば話も感情も違うからね。

表に出ていない、見えていない部分があるということを
常に念頭に置いておくことを忘れてはいけないのだと思う。
簡単に批判したり、勝手に決めつけたりするのは
やっぱりちょっと違うのかなって。

離婚もね
私は結婚生活2年ぐらいで離婚したから
すぐに離婚をして我慢が足りなかったのね、って言われたこともある。
でも、離婚だってその人それぞれの理由があって。
子どもがいるから離婚しないという選択をする人もいるし
両親が仲が悪い方がよくないから離婚をするという人だっている。
正解なんて、人それぞれ違う。
どっちの答えも、良い時だってある。

結局人は私も含めて
自分のものさしや価値観で判断してしまうけれど。
でも全面的に批判したりする前に
一呼吸置いて、今見えている一面だけではないと認識することは
大切なんじゃないかなって思う。
一面的に捉えるのではなくて
多面的に捉えることができる人で在りたい。

笑顔で生活している人が幸せだとは限らない。
いつも不幸だと言っている人が不幸せだとは限らない。
自分に見えていることだけ
聴こえていることだけで判断するのは
本当はとても、怖いことなのだと思う。
常に裏を読むべきだということではないけれど
でも、「見えていない部分がある」ことは
知っておくべきだと思う。

今までの自分の行動を省みて恥じた後は
そのことを次に繫げていくためにも
「多面的な見方」を忘れないでいたい。

by Elly

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする